1948-07-03 第2回国会 衆議院 不当財産取引調査特別委員会 第41号
この取締役会に出席した役員は、常務取締役塩津英薫、取締役北村徳太郎、同澤山信吉、同辻清、同高田透、同法村吉平、同青木省二郎、常務監査役上村支繁、同水谷長太郎、相談役山縣勝見、嘱託北川政の諸氏で、塩津常務取締役が議長となり、第五十一号社長選任の件と題する議案を提出し可決されたのでありますが、当時の議事録によりますと、「占部五郎氏六月二十三日社長辞任において後任社長選考委員会を組織し、同委員会において責任者
この取締役会に出席した役員は、常務取締役塩津英薫、取締役北村徳太郎、同澤山信吉、同辻清、同高田透、同法村吉平、同青木省二郎、常務監査役上村支繁、同水谷長太郎、相談役山縣勝見、嘱託北川政の諸氏で、塩津常務取締役が議長となり、第五十一号社長選任の件と題する議案を提出し可決されたのでありますが、当時の議事録によりますと、「占部五郎氏六月二十三日社長辞任において後任社長選考委員会を組織し、同委員会において責任者
○佐藤證人 昭和二十一年十月三日に日本橋の出張所からとつております登記の謄本ですが、それによりますと、会社を代表すべき取締役占部五郎、三枝貞藏、塩津英薫、中村倍治ということになつております。
その時の取締役は、占部五郎、三枝貞藏、塩津英薫、中村倍治、北村徳太郎、川角五郎、澤山信吉、木村大藏、辻清、高田透、古賀源吉の十一氏でありました。
○三枝証人 そのときは占部五郎という占部造船所の社長がわれわれの方と兼務しておりましたから、占部社長の名前で借りたように私は記憶しております。
その後、初めに社長になりました占部五郎君が独占禁止法の規定によつて社長を辞することになりましたので、当時しばらく社長なしで困つておつたのでありますが、名義だけでいいから——初めからそうなんですけれども——名義だけでいいから名誉社長として、しばらく社長の名前を貸してもらいたい、再三辞退したのでありましたが、どうも聽きませんので、殊に労働組合はどんな人でも納得するというわけにはいかないという関係がありまして
そうして会社を設立いたしましてからは、平取締役として御就任をなさつたのでありまするが、昨年昭和二十二年の七月ごろ、独占禁止法によりまして前社長でありました占部五郎氏が退任いたしましたので、後任社長をきめます関係上、選考委員をもちまして、いろいろ選考した結果、北村さんを社長に御推薦いたしたのでありまするが、御本人は非常に御多忙なのと、こうした会社に常務的な社長として就任することができないというので、一應
当時の取締役は占部五郎、三枝貞藏、塩津英薫、中村倍治、北村徳太郎、川角五郎、澤山信吉、木村大藏、辻清、高田透、古我源吉、以上十一名であります。その後さらに二十二年の三月二十二日に法村吉平、青木省二郎が取締役に選任せられました。第十回の取締役会で昭和二十二年七月二十八日東京の本社で北村徳太郎氏が代表取締役社長に就任せられております。